2013年7月4日

旅へ。* 紹介したいな。

東北へ vol.05。

気仙沼では特に行くあてもなく街を見てあるいていました。そしてとある傷を負った建物の前にあった展示に足がとまり、「2階にどうぞ…」の表示があった(らしく)ので、上がってみる。

と、そこにいらっしゃったのが伊藤さんという方。部屋には被災地の写真が多く展示してありました。とても迫力のある写真。(この写真たちは海外でも紹介されたそう。)

気仙沼:130626

そして、ふらーっといったにもかかわらずいろいろお話くださいました。(夕食後ご招待いただき、この場所で一緒にお酒を飲みながら話してくださったことも含めて。)

津波によって、港から750メートルも離れた場所に運ばれた「第18共徳丸」を、未来のこどもたちに震災のことを伝えるために、そして気仙沼に県外の人を呼ぶシンボル的なものとして残したかった…ということ。(撤去されることが決まっています。)

撤去されることがきまってからは、何かできないか?と、震災後拾い集めていた「打ち上げられた大漁旗」を共徳丸の周りに敷き詰めて世の中へ意志を発信したこと。

そしてこの建物から見える海岸線にはとてつもなく大きな「防潮堤」の建設が予定されているということ。

(今は少し穏やかに見えるこの場所も)震災当初は酷い光景で、瓦礫の間からは手や足だけ見えた状態のご遺体があり、そのご遺体を多く運んだということ。

気仙沼:130626

そして、ご自信の家が建っていた土地のこと。ここだけが緑が生え、整備され、ガラス玉がきれいに飾られています。ここには「コキア」という植物が植えられていて秋には一面真っ赤になるそうです。

気仙沼:130626

この場所には「GROUND ZERO 風の広場」という名前がつけられています。変えていきたいという、意志を発信する場で、共徳丸がなくなったあともここに人が訪れ集まる場所にしていきたい…というか「する」とおっしゃっていました。

とても、強いメッセージのある場所。

まだまだ、いろんなお話をしてくださいました。人工的にビッグバンを起こす研究施設建設候補に気仙沼と北九州があり、どうしても気仙沼に設置して欲しいということ。(観光資源になるので。)

あとは…光害のこと、ご自信の若かりしころのこと…笑。あてもなく歩いていた気仙沼の一日が一気に深く、濃くなった出会いでした。本当にありがとうございました。

気仙沼:130626

気仙沼:130626

気仙沼:130626

第18共徳丸。「鹿折に花を」

福島の原発近くでもそうですが、恐らく多くの放射線が漂うそんな地域でも、花が咲き、葉は緑でした。こんな荒れてしまった土地でもやっぱり花は咲きます。花はどれだけ強いのか…。

 

気仙沼:130626

気仙沼の晩ごはんは「復興屋台村 気仙沼横丁」。その中の伊藤さんに教えていただいた「男子厨房 海の家」で。そこで食べた貝焼きはもう…もうね。おじやがね。

そして、ここからまた次の日出会う気持ちのいい風に繋がります…。

アクセスいただきありがとうございます。メッセージなどございましたら、ホームページのメールフォームより送信してください。何かの励みになると思います。お気軽にどうぞ。

Copyright (c) 0mavillage All Rights Reserved.
powerd by wordpress.